中国古典 | 論語の名言
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 己に如かざる者を友とするなかれ

 自分より劣った者を友人にするな。
友人には、付き合ってためになる友は三人、
ためにならない友は三人あるのだという。

 ためになる友人というのは、
①剛直な人 ②誠実な人 ③教育のある人であり、
それに対してためにならない人とは、
①易きにつく人 ②人当たりばかりよい人 ③口先だけうまい人だという。
 人間形成のうえで、友人の影響は非常に大きい。
できれば自分よりも優れた人たちとつき合ったほうが、
自分を成長させるうえで役立つ。

 

 学びて思わざれば則罔し、思いて学ばざれば則ち殆うし

 どんなに勉強しても、自分の頭で考えないかぎり、
生きた知恵とはならない。 しかし、
思索のみにふけって先人の業績に学ばない者は、
独善に陥るのだという。

 着実な前進をはかるためには、やはり先人の業績を尊重し、
それに学ぶのが前提になることを忘れてはならない。

 位なきを患えず、立つ所以を患えよ

自分の思うような地位に就けないからといって、
ただ愚痴をこぼしてばかりいたのでは始まらない。

地位にふさわしい実力を見に就けることを、
精進することにより展望は開ける。

「人のせいにせず、自分を磨け」ということでしょう。

 君子は言に訥にして、行ないに敏ならんことを欲す

 能弁な人間は、実行が伴わないところがある。
むしろ発言のほうは訥弁でもいいから、
行動のある人間が望ましいというのです。
この場合の「敏」というのは、俊敏という意味です。
情勢の変化に機敏に対応できるフットワークのよさといえばいいだろう。

「行いに敏」であると同時に、
弁のほうも十分に磨いておいたほうがよいのかもしれない。

 

 己の欲せざる所は人に施すなかれ

 自分がして欲しくないことは、人にも行わないことだ。

これは部下を使うリーダーの心構えとしても大事な条件です。

相手の立場や相手の気持ちになれる人間だけが、
部下の心服を勝ち取ることができるのではないか。

 

 小人の過つや必ず文る

 孔子の弟子、子夏しかが語った言葉です。
「文る」とは、表面をとりつくろうこと。
すなわち、小人というのは失敗すると、
必ず言い訳をしたり、とりつくろったりするというのです。

失敗した本当の原因がいつまでもつかめない以上、
同じ失敗を二度、三度とくり返す恐れがある。
また、失敗をしたことをしっかり見すえて反省しないのでは、
人間としての進歩も向上も期待できない。

 過ちて改めざる、これを過ちと謂う

 過ちを犯すことは、人間である以上しかたがない。
しかし、問題なのは過ちを犯しても過ちを認めず、
それを改めないことだ、と孔子はいう。

 過ちを犯したときは、照れたり隠したりすることはない。
すぐに、それを改めるべくつとめればよいのです。

 ただ、問題なのは、自分の過ちに気がつかない場合です。
気づかなければ、何度も同じ過ちを繰り返す可能性が高いからです。
その点、自分の過ちを指摘してくれる人がいるということは、
その時は不快に感じても長い目で見ればこんな有り難い事はないのです。

 忠告してこれを善道し、不可なれば則ち止む

 相手が過ちを犯したときは、誠意をもって忠告するがよい。
それでだめなら放っておくがいい。
あまりしっこくするのは、自分がいやな思いをするばかりで効果がない、
というのです。

 相手のまずい点を見て見ないふりをするというのでは、
友人としての資格がない。
忠告を聞くか聞かないかは相手の判断しだい、であるが、
なんども忠告をしないことが肝要。

 

 己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す

 これは、孔子の思想の中核をなす「仁」という言葉を説明したもの。

「自分がたちたいと思ったら、まず人をたたせてやる。
自分が手に入れたいと思ったら、ます人に得させてやる」
これが、人間の行うべき道としての「仁」だと説いている。

人間としての連帯感とでもいおうか。ある意味で、
「仁」とは「社会人の条件」といってもよいかもしれない。

 小忍ばざれば則ち大謀を乱る

 些細なことにいちいちかかずらわってはいけない。
大事のまえの小事、小さい我慢ができなければ、
大きな目標を達成することができないという意味です。

 人生には、腹の立つことがたくさんある。しかし、
そんなことにかかずらわっていたのでは、肝心の目標を達成できない。

 徳川家康もこういっている。
ならぬ堪忍するが堪忍、なる堪忍は誰でもする、ならぬ堪忍するが堪忍。

 

 君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

 孔子のいう「和」とは、
自分の主体性を保ちながら他の人々と協調すること。
「同」とは、無原則な妥協はしない。
「無原則に妥協するばかりでは、真の協調性には欠ける」と説いている。

 本来、強い組織や社会というのは、
それを形成するひとりひとりが他とは違う個性をもっている。
和してどうじない生き方を許容してこそ、 本当に強い組織といえる。

 

 三人行けば、必ず我が師あり

「三人で道を歩いているとする。
ほかの二人からは、必ず教えられることがあるはずだ」

優れた人からは積極的にそのよい点を学べるし、
劣る者は反省材料を与えてくれるだろう。
どんな環境でも、必ず学ぶべきことがあるし、
自分を磨いていくうえで師にすべき人はいる。

「他山の石」は足元にあり、ということでしょう。

 

 憤せずんば啓せず、誹せずんば、発せず

 未来予測をする場合、未来だけを見ても仕方がない。

「一つ例を示してやると、ただちに
他へ類推を働かせて対応するのでなかったら、
それ以上の指導はさし控えるよりほかはない」

「憤」とは、言いたいことが口もとまで出かかっている状態をいう。
ちなみに「啓発」という言葉はここから生まれたのですが、
もともとは孔子の教育方針を語ったものです。

 

 徳は孤ならず、必ず隣あり

 「徳のある人物は孤立しない。必ず共鳴者が現れてくる」

「徳」とは、人格を構成するさまざまな優れた要素を総称した言葉です。
徳がある人というのは、立派な人格をもった人ということになります。

 社会人として立っていくためには、能力を磨く必要がある。
だが、能力だけではまわりの信頼が得られない。
そこで必要になるのが人格を構成する要素「徳」ということになります。

 

 人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり

 「信」のない人間は、一人前の社会人として評価に値しない。

「信」とは、嘘をつかない、約束したことは必ず守る、という意味です。
「信」を守るためには、まず発言を慎重にすることです。
自分にできることか、できないことか、よく考えてから約束をする。
そして、なるべく言行一致を目指す。

これを心がけるだけでも、自分の評価はずいぶん違ってくるだろう。
 
おのれかざるものともとするなかれ
まなびておもわざればすなわくらし、おもいてまなばざればすなわあやうし
くらいなきをうれえず、所以ゆえんうれえよ
君子くんしげんとつにして、おこないにびんならんことをほつ
おのれほっせざるところひとほどこすなかれ
小人しょうじんあやまつやかならかざ
あやまちてあらためざる、これをあやまちと
忠告ちゅうこくしてこれを善道ぜんどうし、不可ふかなればすなわ
己立おのれたたんとほっしてひとて、己達おのれたっせんとほっしてひとたっ
小忍しょうしのばざればすなわ大謀たいぼうみだ
君子くんししてどうぜず、小人しょうじんどうじてせず
三人行さんにんゆけば、かならず我があり
ふんせずんばけいせず、せずんば、ほっせず
とくならず、かならとなりあり
ひとにしてしんなくんば、そのなるをらざるなり
 ※守屋 洋著 中国古典「一日一話」より引用

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