中国古典 | 老子の名言
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 其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同じうす

 この世の中を生きていくには、鋭い部分はなくしたほうがいい。
複雑なことばかり考えるのもよくない。
きらびやかに光るものがあったら、
意識的にそれをぼかして塵と溶け合うように生きなさい──。

「其の光を和らげ、其の塵に同じうす」を 略して「和光同塵わこうどうじん」という。

「光」とは才能・能力であり、
「塵」とは世間一般のレベルを指している。
つまり、才能や能力をあまり表に出すな、ということです。

 上善は水の如し

 「上善」とは、もっとも理想的な生き方を指す。
そういう生き方をしたいと願うなら水に学べ、というのです。

 まず、水はきわめて柔軟です。
どんな形の器にも逆らわずに、器なりに形を変えていく。
次に、水はまことに謙虚です。
自分を主張することなく、自然に低いところに流れていく。
さらに、水は静かな流れのなかにも巨大なエネルギーを秘めている。
つまり、柔軟さ、謙虚さ、秘めたるエネルギー、
この三つを身につければ、
人間も理想の生き方に近づくことができるのだという。

 功遂げ身退くは、天の道なり

 仕事を成し遂げた人は、身を引くことによって、
いままで築きあげた功績や名声をまっとうすることができる。
その反対に、いつまでも地位にしがみついていたのでは、
満杯になった水がこぼれてしまうように、せっかくの地位を失い、
功績や名声までも帳消しになってしまう。

権力の座にあるものの責任は重い。
重いからこそ、なるべく早めにバトンタッチし、
あとは悠々自適の生活を送るというのも賢明な生き方でしょう。

 曲なれば則ち全し

略して「曲全きょくぜん」ともいう。
曲がっているからこそ、生命をまっとうできるのだという。

目立ちたがり屋は、つねに先頭に立ちたがる。
だが、『老子』はもっと曲線的な生き方を好む。
先頭に立つより、あとからついていくほうが危険な目に遭うこともなく
安全に生きられる、と説く。

 善く行く者は轍迹なし

 上手に歩く人は足跡を残さない。
立派な仕事を成し遂げた人ほど、これはおれがやった仕事だ、
という記録を残さない。
社会に貢献するにしても目立たぬ貢献をしている。
価値ある功績とはそういうものだ、と老子は説く。

どんな豪華絢爛たる舞台も、裏方さんがいなければ日の目を見ない。
それと同じで、どんな企業も
水面下の目立たない地味な仕事によって支えられている。

 

 人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり

 人を知る者はせいぜい智者のレベルにすぎない。
自分を知る者こそ明知の人である。わかりやすくいえば、
自分を知ることは難しい、ということになる。

 「智」も「明」も洞察力にはちがいないが、
「明」は「智」よりもさらに深いところまで洞察できる能力を意味する。
これを身につけるのは、並たいていのことではない。

 柔弱は剛強に勝つ

 柔は剛に勝ち、弱は強に勝つ
 日本でよく知られている「柔よく剛を制す」と意味は同じです。

 ごつくて強そうなものは意外にもろい所がある。
それに反して、柔らかく弱々しいものは
「柳に雪折れなし」のたとえのように意外に強い、という意味です

 強者には強いがゆえのおごりがある。
そのため、自ら墓穴を掘って自滅する可能性が大きい。
一方、弱者は弱いがゆえに、つねに謙虚です。
自分の力を知っているので、何事にも細心の注意を払う。

 足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず

 控え目にしていれば、辱を受けない。
とどまることを心得ていれば、危険はない

 『老子』はここで、おれがおれがと出しゃばる態度、
自分の利益追求のためには、他人の迷惑もおかまいなし、
という生き方を戒めている。
足るを知らず、止まるを知らずに生きていれば、周囲の反撃を買い、
いずれ袋叩きに遇うのがオチだ、というわけです。

『老子』の唱えた処世哲学のエッセンスで「止足のいましめ」とも呼ばれる。

 大弁は訥なるが如し

 真の雄弁は訥弁とつべんと変わりがない。

 これは『老子』お得意の逆説的表現で、
その極地は無言の説得ということになる。
ここでいわんとしているのは、しゃべりすぎの害です。
能弁には、とかく軽薄なイメージがつきまとう。

 一方、訥弁には誠実のイメージがあります。
立て板に水のごとくしゃべるよりも、
訥々と自分の考えを伝えるほうがはるかに好感をもたれるし、
説得効果が高い。

 大国を治るは小鮮を烹るが若し

 「小鮮」とは小魚こざかなのこと。
小魚を煮るとき、やたら突っついたりかき回したりすれば、
形も崩れるし味も落ちてしまう。

 国を治めるときも、政府が、
何事につけ権力で上から干渉するのはよくない。
できるだけ干渉を避け、民間の活力に任せるほうが、
かえってうまく治まるのだという。

 為政者は、大所高所から黙って事態の推移を見守るのが、
政治の理想である、という考え方にほかならない。

 怨みに報いるに徳を以ってす

 昔の怨みにこだわらず、つねに善意をもって他者に対せよ。

「徳を以って怨みに報いよ」という思想は、『論語』にも出てくる。

 だが、孔子はさらに理想を追求した見解を述べている。

徳をもって怨みに報いよでは、ケジメがつかなくなる。
直(筋を通す)をもって怨みに報い、
徳をもって徳に報いるのがよい。

 敢えて天下の先たらず

 『老子』は、
この世で無事に生きていくのに必要な「三つの宝」を挙げている。
「一にいわく、慈。二に曰く、倹。三に曰く、敢えて天下の先たらず」
「慈」は、人をいつくしむこと。
「倹」は、物事を控え目にして、先頭に立たないこと。

人をいつくしむからこそ、勇気が湧いてくる。
物事を控え目にするからこそ、行き詰まらない。
人々の先頭に立たないからこそ、逆に指導者としてかつがれる
と語っている。

 善く人を用うる者はこれが下となる

 人の使い方の上手な人は、相手の下手したてに出る。
「下手に出る」ということは、高圧的な態度を示さないということ。
そこで、指導者の条件についてこう語っている。

「優れた指揮官は武力を乱用しない。感情に駆られて行動しない。
勝つことの名人は力づくの対決に走らない」

『老子』は、これを「不争ふそうの徳」と呼んでいる。
人を使う者も軍の指揮官も、力に頼るようでは一流になれない。
つねに謙虚であれ、と戒めているのです。

 

 知りて知らずとするは、尚なり

 知っていても知らないふりをするのが望ましいというのだが、
ある意味で「おとぼけのすすめ」と解してもよい。

 『老子』は
「知らずして知れりとするはへいなり」ともいっている。

知りもしないのに知ったかぶりをするのは、
これはもう論外だということです。

 天網恢恢、疎にして失わず

「天網」とは天の裁き、「恢恢」とは大きいという意味。
天の網はこのうえなく大きく、
編み目は粗いように見えるけれど、何ひとつ取り逃がすことはない。
日本では「疎にして漏らさず」と使われることが多いが、意味は同じ。

 この世の中は悪が栄えているように見えるが、
それは一時のことにすぎない。「天道」、つまり天の法則は
人間社会にくまなく行き渡っているので、悪はいずれ報いを受ける。

俗っぽくいえば、お天道さまはお見通しだよ、ということになる。
 
えいくじき、ふんき、ひかりやわらげ、ちりに同じうす
上善じょうぜんみずごと
功遂こうと身退みしりぞくは、てんみちなり
きょくなればすなわまった
もの轍迹てっせきなし
ひとものなり、みずかものめいなり
柔弱じゅうじゃく剛強ごうきょう
るをればはずかしめられず、とどままるをればあやうからず
大弁たいべんとつなるがごと
大国たいこくおさるは小鮮しょうせんるがごと
うらみにむくいるにとくってす
えて天下てんかせんたらず
ひともちうるものはこれがしもとなる
りてらずとするは、しょうなり
天網恢恢てんもうかいかいにしてうしなわず
 ※守屋 洋著 中国古典「一日一話」より引用

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