中国古典 | 呻吟語
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呻吟語について
人の上に立てる人間の「自分のつくり方」
時代に流されない「正統派」処世道 ──
悩みながら反省し、苦しみながら自らを律す
  
 『呻吟語』は、今から約四百年ほど前、明代に書かれた本です。
『菜根譚』と殆んど同じ頃で、中国の古典のなかでは比較的新しい部類に属している。 その内容は、やはり人生を語り、人間を論じ、処世の道を説いたもので、現代でも参考になる点が少なくない。どちらかといえば、
『菜根譚』のほうがやや通俗的でくだけているのに対し、
『呻吟語』のほうは『正調』であり、オーソドックスです。
その違いは、作者の経歴と人生観の違いからきているように思われる。
 『菜根譚』の作者、洪自誠こうじせいは、一応官界に身を投じながら早くに隠退し、 道教や仏教の研究に入ったといわれる。
 これに対し、『呻吟語』の著者である呂新吾りょしんごのほうは、
長く官界にとどまって、中央の要職や地方長官などを歴任している。
そして、のちの人々から「純儒」と評されているように、この人の教養の根幹はほとんど儒教であったようだ。
 二つの本が殆んど同じテーマを扱いながら、ずいぶんと色合いを異にしているのは、 そういう事情からきているに違いない。
 では、呂新吾は高級官僚として平穏な人生を送ったのかといえば、決してそうではない。 彼はもともと性格の激しい人で、硬骨漢でもあった。 悪いことに、彼の生きた時代は政治の乱れがひどく、官界内部も腐敗していた。

 そういうなかで、呂新吾もまたわれわれと同じように、ひとりの社会人として、 また組織の責任者として、悩んだり苦しんだりすることが多かったにちがいない。 それは『呻吟(うめき苦しむ)語』という書名からも、うかがい知ることができる。
 彼の自序によれば、
「呻吟は病声なり、呻吟語は、病むときの疾痛の語なり」だという。
この場合、病とは体の病であるよりは心の病であったにちがいない。

 呂新吾は、そういう悩みや苦しみに反省を加えることによって、彼なりの確信に達していった。 それを折にふれて記録にとどめたものが、『呻吟語』だという。 『呻吟語』もまた、人間とはどうあるべきか、人生をどう生きるべきかなど、われわれにとっても切実な問題を、 さまざまな角度から解き明かしている。 その教えには、現代でも参考になる点が少なくない。これもまた先人が残してくれた、 すばらしい人生指南の書です。
 ※守屋 洋著 中国古典「一日一話」より引用

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